「2010年06月」の記事一覧

梅雨はこれからですが・・・。



今日の道頓堀川は
この間の雨のせいか、
水かさが増して流木の破片が
粉がまき散るように流れていました。
その道頓堀川を目を凝らして
よく見てみると、
黒々した物体が!
しかも幾つも!
それは
右へ左へと不規則に動く
魚の群れ!
しかもその群れはいくつもあり
『道頓堀川にこんなに魚がいたなんて。』
と新たな発見に驚きました。。
また明日から雨の日が続くそうで、
ムッとする日々が始まります。
しかし、雨が降らないと
作物はもちろん、
さまざまな自然に影響が及びます。
鱧(はも)も例外ではありません。
その昔。
京の都に謙譲する物の一つとして
生命力が特に強かった鱧は、
生きたまま京都に持ってこれるところから
京都の名物となりました。
栄養価も非常に高く
また、調理方法も豊富で
『湯引き』や『造り』
『焼き』に『揚げ』
それに『しゃぶしゃぶ』も絶品です!
大和屋本店では
そんな『鱧』をご用意しております。
詳しくはこちら
http://www.yamatoyahonten.jp/meal/hamo.html

一夜で四千句!!



今日は
昨日とうって変わって
晴天でした。
しかし、
ムッとする暑さが身に堪えます。。
大阪では生玉さんと呼ばれ親しまれている
『生國玉神社』
その生國玉神社は
『井原 西鶴』縁の地。
というのも
その昔『井原 西鶴』がなんと!
一夜で四千句を読んだといわれ、
“矢数俳諧”が行われた場所でもあります。
その時を表わした銅像が今も誇らしげに鎮座しています。
また、
この神社の下には『参堂の門』があり、
これは1912年(明治45年)に
“ミナミの大火”でこの辺り一帯が焼けてしまい、
その跡地に元々『宗右衛門町』に通す予定だった
“市電”をここ『千日前』に通したといわれています。
その証として、通りにある
『生國玉神社』の『参堂の門』が建てられ、
その証拠に
『参堂の門』には”大正三年”と刻まれています。
町というのはこうやってできていくんですね。。

堺筋の隠れた名建築



昨日の
ワールドカップすごかったですね!
日本が初戦を勝つことが出来るとは!
オランダ戦は今週土曜日。
街から人がいなくなりそうです。。
さて。
大和屋本店の西側をはしる『堺筋』。
この『堺筋』は『御堂筋』が出来るまで、
昭和12年ごろまでは
大阪のメインストリートとして週末は多くの人たちが訪れていました。
この『堺筋』。
現在もそのころの名残が多く残っているんですね。
今日は、
その一つを今日はご紹介。
灰色の無機質な建築群のなかで
一際目をひくアールデコスタイルの建築。
『生駒ビルヂング』。
平野町が賑わっていた昭和5年。
まだ時計が高級品とされていたころに
『生駒時計店』が本店として建てたのがはじまりで、
正面左側は時計店にちなんで振り子を模しているんだそう。
設計は
大阪の建築界を支えた一人、
『宗兵蔵』の宗建築事務所が請け負い、
他にはないモダンな建築で人々の目をひいたそうです。
現在は、
一階にカフェが入り、
その当時を思い浮かべながら
ちょっと一息するのもいいかもしれませんね。。

南森町があるなら・・・。



日本一長い商店街
『天神橋筋商店街』の中でも、
多くの飲食店やオフィスが並ぶところ。
『南森町』。
この『南森町』という地名から
一つ疑問が湧きました。
『南森町』があるなら
なぜ、 『北森町』がないのか・・・。
調べたら、実はあったんですね。
昔、
『北森町』は確かにあったんです。
その証拠に写真の右奥に
『北森町ビル』
というビルがあるんですね。
昭和53年。
それまで、
この『南森町』一帯はさまざまな地名がありました。
『北森町』
『金屋町』
『壷屋町』
『信保町』
『空心町』
など、
さまざまな町名がありました。
しかし、この年。
この辺り一帯の町名が合併され、
現在の地名となっています。
そして、
この『北森町ビル』はその町村合併前に建てられたビルで、
そのまま、その町名がビルに残されています。
年々、
地方財政の悪化などで市町村が合併されている昨今。
せめて、『町名』だけはどんな形であれ残してほしいものです。

西区にある○○発祥の地


昨日から、いや今日の朝から
大盛り上がりのワールドカップ!
開会式は民族的な衣装が踊り、
現地は音楽と熱気で溢れているのが
テレビを見ていてもよくわかります!
そういえば、
日本も2002年は国中が沸き立っていましたね。。
さっそくですが質問です。
みなさんは、”麺類”では何が好きですか??
『ラーメン』や『うどん』、『そば』、
この時期ならば『そうめん』や『ひやむぎ』
それに『冷麺』なんかもいいですね。
わたしはちなみに何でも好きです。
(『どないやねん!!』と、ツっこんだあなたは大阪人です。)
さて本題。
日本の”麺”代表の一つ
『そば』
の発祥の地がここ、
大阪は西区にあります。
その発祥の地の名前が
『砂場』
と呼ばれるところ。
この『砂場』。
その名前の由来は、
“大阪城”の主、『太閤秀吉』がその”大阪城”を築城させるため、
資材置き場の一つとしたのがこの『砂場』。
その『砂場』で働く人たちのため作られた食べ物が
『そば』だと言われています。
そのため、
そば屋さんの名前に『砂場』とつくところもあり、
そういうおそば屋さんを見つけてしまったら
おなかが減ってなくても食べたくなります。
それはさておき。
今現在、その『砂場』があったとされているところには、
大きな”石碑”が建てられ、今も立派にそびえています。
こういう”大阪の誇り”はドンドン残してほしいですね。