愛の為に花束を


私の先祖菅原道真は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した人物であった。幼少の頃から文才に優れていたといい、その才を遺憾なく発揮して順調に出世し、醍醐天皇の時に55歳で右大臣に上り詰めた。道真の異例の出世が、権力者藤原氏の鼻につき、藤原時平の讒言によって失脚し、北九州の太宰府へと左遷されてしまったのである。都を去るとき、道真が詠んだ
 「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
は、あまりにも有名。




大阪天満宮で1月25日に開かれる初天神梅花祭は左遷の下った25日に、道真が愛でた梅の花をお供えし、御霊を慰める梅花祭を午前中に行い、午後には学問の神様:菅公に受験生が合格祈願する通り抜け参拝や、阪神・オリックスの在阪野球選手や有名人・年男がボール撒きをする「福玉まき」などを執り行います。
大阪天満宮は当館から電車で15分です。
「逢いたいよ」夜明けの留守電に残した
明日の朝 君が笑顔で聞いてくれるように  フロント 菅居