大阪が首都に!?


大阪がもし『首都』だったら?!




そんな嘘みたいな話も
1868年(慶応四年)だったら
有り得たかもしれない・・・。
時は幕末。
当時、遷都論が盛んに唱えられ
時の尊皇攘夷派で知られた
『大久保利通』
『岩倉具視』
『三条実美』らが政府側に
『大阪遷都建白書』を提出したのが1868年(慶応四年)の今日でした。
そこには
大阪が首都として優れている点や
これまでの他国との交流などが記載されていました。
しかし。
それに反論を訴えたのは
のちの郵便制度を確立した『前島密』でした。
(大きな郵便局の前にある銅像の人です。)
この『前島密』は逆に江戸を遷都する方がよいと唱え、
また、大阪が適していない所を六か条にし示したのでした。
一つ目が大阪は日本の真ん中ではない。
二つ目が港が小さく、大きな戦艦が入らない。
三つ目が道路が狭く、
四つ目が街もまた狭い。
五つ目は皇居を作るところがない。
そして最後は大阪は今のままでも繁栄するが江戸は衰退する。
とまあ、こんな風に文句をつけて『大阪遷都』はなくなり、
結局、江戸に『遷都』を持っていかれてしまったわけです。
もし、
大阪が『首都』だったら・・・。
標準語が“大阪弁”になっていたかもしれないですね。。