島之内から世界へ!





今日も暑い日が続きます。
今年は
これまでで一番ポカリスエットを飲んでいます。
結局すべては汗に変わるだけですが。。
今日は島之内にあった
日本を支えた工業をご紹介。
寛永年間の1640年ごろ。
現在の島之内一丁目の辺りは
住友家二代目・友以によって世界有数の銅精錬所が作られました。
友以の父は元々京都で“銅吹屋”を営み、
『南蛮吹』という技術の第一人者といわれた『蘇我理右衛門』。
また友以は
住友初代の娘と結婚したことにより二代目となり、
大阪で本格的に“銅吹所”を始めました。
また
この“島之内”。
東を『東横堀川』
西を『西横堀川』
北を『長堀川』
南を『道頓堀川』に囲まれているため、
まるで“島”のようなところから『島之内』と名づけられました。
そのため
当時は船で運搬していたので
この場所は特に便利だったのでここに作られたといわれています。
この『住友銅吹所』。
江戸時代の頃には全国から“粗銅”を集め、
日本最大の銅精錬所となり、
全国の生産量のうち住友家が1/3を作るほどになり
巨万の富を得たそうです。
また自らも銅山を所有し、特に愛媛にある別子銅山を見つけたことにより
オランダや中国・朝鮮などに輸出するぐらいになりました。
その後は両替商なども商い、
現在の住友へとなっていきました。
ちなみに、
現在の『住友銅吹所』跡は碑があるのと、
住友の繁栄を表す日本最古のビリヤード場が残っているだけです。
なんとも今の姿からは思いつかないですね。